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心理学部
2014.10.20

人文学部心理学科リレーエッセイ NO.03

文学と心の世界

 思い出話をさせてください。わたしの高校時代のひとこまです。わたしの入学した京都の大学には、文学部文学科のなかに、心理学専攻がありました。当時、文学部のなかでは、いちばん人気がなかったと思います。影がうすかったのです。だいたい、心理学とは、どんなことを学ぶのか、高校生のわたしには、さっぱりわからなかった。わたしが入学したのは、日本文学専攻です。なぜこの専攻をえらんだのか。今から思いかえしてみると、ひとつのキッカケがあります。それは太宰治です。

希望の高校に入学したものの、まわりはよくできる生徒ばかりで、少し自信を失って、暗くなっていました。自分の殻に閉じこもりがちな、内向的な気分になっていたのです。昼休みには、高校を抜け出して、近所の商店街の小さな本屋さんをのぞいていました。そのとき偶然手にとった文庫本が、太宰治の『晩年』です。ずいぶん陰気な題だな、と思いました。その隣には、『人間失格』がならんでいました。ページを繰って拾い読みした印象は、「暗いな」という感じです。けれど、それがそのときのわたしの気分にぴったりと合っているような気がしました。何よりも、読ませるのです、文章が、文体が。それ以来、太宰治は気になる存在になりました。

だからといって、熱心な愛読者になったわけではありません。むしろ敬遠がちでした。ときどき思い出したように手にとったり、途中で読みさしたりするようなことを、高校から大学まで繰りかえしていました。若いときは、その理由がわからなかった。自分の気まぐれな性格からだ、と割り切っていました。

だけど、六十を超えた今なら、その理由を、少し説明できるような気がします。若いときは、太宰治に、自分の心のなかをのぞかれているような気がしたのです。かれの小説のなかに、暗いもう一人の自分がいるような気がして、嫌な気分になったのです。若いわたしには、それと向きあう心の余裕がなかったのでしょう。

今なら、余裕をもってかれの作品と向き合えます。文章や文体を楽しみながら読むことができる。一見、暗い気分になる作品も、かえって元気を与えてくれるのです。暗い、陰影のある作品にも、ユーモアが流れている。太宰治が、今も、若い読者を得ている理由は、そこにあります。

わたしは太宰治の研究家ではありません。けれどかれの作品との出会いが、わたしを文学の世界へ導いてくれたのです。心理学科をめざすみなさんも、どうかいろいろな小説世界に親しんでください。そこには、ささやかだけど、自分を見つめなおす、楽しい空想の世界がひろがっています。

高校時代、太宰治の作品をとおして、心の世界をのぞき込んだわたしは、この春から、心理学科の教員のひとりになりました。文学と心理の世界は、しっかりとつながっているのです。それを学ぶ楽しさを伝えられたら、と思います。

小林幸夫(日本古典文学)