社会に羽ばたいた共生の精神が集う
東海学園大学同窓会のホームページ

東海学園大学同窓会

少人数同窓会
「プチ会」のご案内

同窓会開催や同級生ご紹介の
お問い合わせ

同窓生インタビュー

元Jリーガーであり、現在は母校である東京都市大学塩尻高等学校の体育教師、
サッカー部コーチとして活躍する小松 憲太さんにお話を伺いました。

プリント

プロ選手という夢を手に入れた ここは運命的な出会いの場所 人間健康学部 人間健康学科 3期生(2010年卒) 元Jリーガー 高等学校教諭 小松 憲太さん

取材日:2018年2月7日

人生をやり直しても、東海学園を選ぶ

プロのサッカー選手を目指しながら将来は体育の教師になりたいと考え、その2つの夢を追いかけられる大学を探していました。そこで運命的に出会ったのが東海学園大学です。

東海学園高校の監督と、武蔵工業大学第二高等学校(現・東京都市大学塩尻高等学校)の監督が偶然にも知り合いで、大学のサッカー部が強化部に指定されたことで、自分をぜひ選手として迎えたいという話をいただいたのです。

もう一度人生をやり直しても東海学園大学を選ぶと言い切れるほど、東海学園大学に入ったことが人生のターニングポイントでした。東海学園大学のサッカー部で元Jリーガーである安原成泰監督の指導を受けたことで、サッカー観も、人生観も、大きく変わりました。

監督に教わった大切なこと

例えばサッカーとは何か、サッカーそのものについて考えることの大切さを教わりました。自分が子どもの頃、長野県にはプロチームもなく、プロになりたいと思ってもどうすればなれるかわかりませんでした。とにかく一生懸命に頑張ることしか思いつかなくて、学校の周囲を走ったり、毎日朝練し、夜も遅くまでボールを蹴ったり…という感じでした。

ところが安原監督は、これができればプロになれると明確に示してくれて、サッカーのおもしろさや楽しさを感じることができたのです。頭の中が整理されて一気にクリアになりました。

一つは、プロになるためには武器がなければいけないということ。日本で一番早く走れる、ヘディングが上手い、シュートが上手い、点が取れるなど、何か一つ武器があればJFLに入れる、二つあればJ2、三つあればJ1だと。その通りなんです。

自分は幸運にも、一生懸命走り込んでいたおかげで「誰よりも動ける選手」に育っていて、当時JFLだった松本山雅FCに加入。さらにJFLで必死にプレーして、今度は「ボールを奪う」という武器を手に入れ、松本山雅FC の昇格とともにJ2に上がり、プロとして活躍することができました。

今の指導のベースであり、自分の原点

安原監督からは「必要としてくれるところへ必ず行け」とも、よく言われました。地元のチームなら、地元の人が応援してくれるし、自分も地元のために頑張ることができます。まさにその場所が松本山雅FCでした。2014年にはタイのアユタヤFCに移籍。その後、日本で指導者の道を歩むことになり、ここでも母校の高橋監督に「ぜひコーチとして来てくれないか」と声をかけてもらい現在に至っています。

安原監督から教わったこと・・・名言、練習メニューといった内容は、毎日サッカーノートにつけて残していました。それが今の指導のベースであり、自分の原点となっています。高校の高橋監督には、教育者として、人として、大切なことを教わりました。小学校からサッカーを続け、サッカーを通して学んだ多くのことを集約し、自分なりの指導を目指しています。

サッカーを通していかに幸せになるか

指導する上で大切にしていることは「自分で考えて行動すること」。いい生徒は増えましたが、言われたことしかできない生徒が多いんです。それでは社会に出てから困ります。今は、生きる上で大切となる礼儀やマナーを含めた社会人基礎力を生徒たちに手渡しているところで、どれを選んで、どのように使うかは生徒たちが考えること。

プロのサッカー選手になるのは、東大に入るより難しいと言われます。サッカーというツールを通して生徒がどれだけ成長できたか、人として幸せになったか、ということの方が重要です。

これからの目標は、サッカーの指導者としての実力をつけて、ここで育てた選手たちを東海学園大学のサッカー部に送り出すこと。そして、選手たちが社会に求められ、いろんなところで活躍できる人材になることです。

プロのサッカー選手を目指す人へ、小松さんからのメッセージ

サッカーをやりたいという人には、東海学園大学を勧めています。私の場合、東海学園大学に入学しなければ、プロのサッカー選手になるという夢も、体育の教師になるという夢も実現しませんでした。

2018年の年初に、当時のチームのメンバーと久しぶりに会う機会をいただき、気持ちをリフレッシュできました。同窓生という人とのつながり、サッカーを通して築いた人とのつながり、大学時代の友人や恩師の存在は貴重です。母校の東京都市大学塩尻にも、東海学園大学にも、これからもっと恩返しがしたいと思っています。