グレート・ジャーニー

推定されるホモ・サピエンスの移動の概略:経路と年代は、鈴木(2013),斎藤(2009),大塚(2015)などから作図
人類学によると、人類(ヒト亜属動物)はアフリカ大陸でチンパンジーと共通の祖先から分岐した後、複数の種に展開した。あるものは滅び、あるものは生き延びてまた次の種を生んだが、その中の一筋の系統だけが残った。それが現生人類である。
この種は、東アフリカの、かなり限定された地域でおよそ20万年前にひっそりと生まれた。陸上動物としては明らかに不自然ながら器用に直立した身体、その最上部に乗る大きな脳、体毛の退化した皮膚と柔軟で精緻な身体能力、まともな爪も牙もない代わりに、卓越した音声言語と異常なほどの社会性、そして長い幼年期と思春期をもつ風変わりな霊長類だった。
なぜこの種が生まれ生き残ったのか、さまざまな議論があるが、本当のことはまだわからない。
アフリカで10万年ほど過ごした後、突如として人類は世界各地に広がっていく。いわゆる「出アフリカ」である。人類は、中東、ヨーロッパ、アジア、数万年かけてあらゆる土地を踏破していく。
彼らは、おそらく3~4万年前にはユーラシア大陸のかなりの部分まで広がった(日本列島にもこの時期に人が住み始めたらしい)。北東に向かった者たちはさらに、当時地続きだったとみられる北米にアラスカ経由で渡り、千年ほどかけて南米大陸の南部まで到達する。北回りの徒歩移動の限界である。一方、ユーラシア大陸の南を目指した者たちは、当時東南アジアとやはり陸続きに近かったオーストラリアまで一気に南下する。そして航海の技術が一定に達するのを長い期間待った後、三千年前頃から危険を冒して船で外洋を渡り始めた。
当時、海を渡る動力は櫓と風と海流。頼りは、先祖伝来の航海術と手製の船、そして自らの知恵と体力だ。しかし当時の技術による遠洋航海の成功率を推定すれば、船出は永遠の別れにかなり近い。死と隣り合わせの船旅に人類をあえて挑み続けさせたものは何だったのだろう。ともあれ、この航海によって人類はオセアニアの離島やマダガスカルに棲息地を広げ、さらに太平洋上の絶海の島々にまで進出を果たす。ここに至り、極端に過酷な地域を除く地上の全域制覇がほぼ完了する。
一種でここまで広く多様な生息域をもつ動物はヒトだけであり、この生息地拡大の旅はグレート・ジャーニーと呼ばれている。旅する中で、祖先たちにはどれほどの苦難と忍耐と達成とがあったことだろう。心の片隅に覚えておこう。私たちは時に出不精で意気地なしで非力だけれど、確かにこの偉大な旅人たちの末裔なのである。
注:人類の起源、移動経路、各地域に到達した推定年代などは依拠する研究によってかなり異なります。また、化石証拠や遺跡等の発見、DNA解析の進展によって今後書き換わる可能性があります。
参考文献
アリス・ロバーツ(編著) (2012). 「人類の進化大図鑑」 河出書房新社.
インフォビジュアル研究所 (2017). 「図解でわかる ホモ・サピエンスの秘密」 太田出版.
ジャレド・ダイヤモンド (2000). 「銃・病原菌・鉄」(上) 草思社.
河野礼子(2015). 「人類の進化大研究 700万年の歴史がわかる」 PHP研究所.
木村靖二・岸本未緒・小松久男 (2017). 「詳説世界史B」 山川出版社.
クリス・ストリンガー, ピーター・アンドリュース (2008). 「ビジュアル版 人類進化大全 進化の実像と発掘・分析のすべて」 悠書館.
大塚柳太郎 (2015). 「人はこうして増えてきた 20万年の人口変遷史」 新潮選書.
国立民族学博物館(編) (2007). 「オセアニア 海の人類大移動」 昭和堂.
斎藤成也 編 (2009). 「絵でわかる人類の進化」 講談社.
鈴木光太郎 (2013).「ヒトの心はどう進化したのか」 筑摩書房.