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心理学部
2025.12.22

私的AI元年


 師走を迎える数週間前、リクライニング機能付きの実験用椅子を導入した。卒業論文の提出時期を控え、今年は4年生の人数も多いので、徹夜上等!の心づもりである。いざという時には仮眠ベッドに転用する覚悟だったが、幸か不幸かその機会は訪れなかった。例年、学生諸君が書き上げた初稿に朱を入れるのに一晩やふた晩ではとても足りないのだけれど、今年は少しばかり様子が違った。なんというかこう、最初から「整っている」文章が多かったのだ。初稿あたりだと、まずは論文としての体裁を整えるために相当量の添削をするのが常だが、今年はそれが思いのほか少なかった。自分の日々の指導が実を結んだのか?いやいやそういうことではないし、学生諸君のライティング・スキルが急激に向上したというわけでもなさそうだ。考えられることはただひとつ、AI(Artificial Intelligence:人工知能)の介在である。
 実はしばらく前からその兆候には気がついていて、特に今年度に入ってからは頻繁に感じるようになった。例えば講義で課題を出すと、パーフェクトな解答、場合によっては少々オーバースペックな解答が提出されることがある。授業の感想を求めると、こちらが話した内容以上にさまざまな情報を盛り込んだ壮大な感想が返ってくる。最初は「むむ、コヤツできるな」と思ったけれど、数回繰り返された時点でさすがにおかしいと勘づいた。きっかけは感覚的なところで、文章の向こう側に自分が知っている彼ら彼女らの顔が見えない。文章とは不思議なもので、読んでいると何となく書き手のキャラクターやパーソナリティや時には風貌までがにじみ出てくるものだけれど、その文字列の向こうには自分の知らない誰かがいる気がしてしょうがなく、さらに複数名の文章からそれと同じ肌触りを感じた時に、疑惑は確信へと変わった。そうか、最近わたしの授業に素敵な感想を述べてくれていたのはキミだったのだね、AIくん。
 先日、役所や企業の管理職の方達と話す機会があり、職場のAI事情について尋ねてみたところ、思った以上に社会には浸透していて、部下から上がってきた書類に明らかな不備があれば「ちゃんとAIにチェックさせたの?」と戻すこともあるそうだ。一日に何十何百と書類に目を通さなければならない管理職にしてみれば、初歩的なところくらいは先に何とかしておいてよとAIに投げたくもなるのだろう。その気持ちは解らなくもない。また別の機会に、クリエーターの方達に同じ質問をしたところ、こちらはアイデアを拡げる初期段階ではAIを活用しているが、パソコンとモニターの中だけで制作が完結するはずもなく、必ずモノを作って目の前に置いて、人がジャッジするそうだ。AIは言葉で指示した通りのものを生成するけれどそこには感情も直感も存在しない、と語っていたのが印象的だった。要は使いようということか。
 卒業論文に話を戻すと、日本語としての基本的なところを直す手間が省けたのはありがたかったが、読み込むにつれてこれはマズイといういくつかの論文に行き当たった。それらに共通していたのは、非常にこなれていて論理展開も申し分なく、一読してすんなり頭に入ってくるところ。しかし、よくよく読んでみると言葉が上滑りしていて、ノリのいい英語のロックだと思って聴いていたらどこの国の言葉でもない英語風の歌詞だった、みたいな文章なのだ。歌っているのは2年間一つのテーマと向き合って格闘してきた彼・彼女ではなく、どれも同じ肌触りのする別の誰か。おそらく論文のテーマとデータの分析結果をAIに丸投げすると、こういう文章が生成されるのだろう。
 タイムパフォーマンスが偏重されている昨今、生活のあらゆる場面にAIが浸透し、ゆくゆくは自律型ロボットに搭載され、いつも傍で相談に乗ってくれるバディのような存在になる未来も想像に難くない。しかし、夢ゆめ考えることを放棄して丸投げすることなかれ。思い出してほしい、便利だからといってドラえもんに頼りっぱなしののび太くんは、毎回手痛いしっぺ返しを喰らっていたではないか。件の学生達には、君が2年間苦労して書きたかったのはこういうことじゃないよね、と自分の言葉で考察し直して全面改稿することを提案した。大学とは、4年間かけて自分の頭で考え、それを言葉で表現する方法を学ぶ場所なのだ。その集大成の卒業論文を誰かに丸投げしては、それこそ4年の時間がもったいない。
 

本間洋充(犯罪心理学・応用心理学)