学部からの最新情報
心理学部
2026.03.13

「自己反省」のアイロニー


 西洋哲学史上の有名な言葉に、「ソクラテスのアイロニー」というのがある。今誤解を恐れずに定式化すると、(1)真・善・美の根拠としてイデアがある。(2)ソクラテス(探求者)はイデアが存在すると知りつつも自分がそれを知らないことを自覚している。(3)ソフィスト(知識人)はイデアを知っていると思っているが、それはドクサ(間違った意見)である。このとき、(2)からみた(3)の位置づけ、ソクラテスのソフィストに対する態度が「ソクラテスのアイロニー」となる。ソクラテスいわく、「ソフィストの皆さん、あなた方は真理を御存じなのですね(本当は知らない)」というわけである。
 他方、ドイツ・ロマン派の思想家フリードリヒ・シュレーゲルは「ロマン主義的アイロニー」という概念を提唱した。これまた誤解を恐れずに定式化すると、①作者(主体としての自我)の内面を完全に表現した作品が理想である。②作者は理想の作品と今現在制作した作品とが異なることを自覚している。③作者は今現在制作した作品が理想の作品だと思っている。そして②の立場から③をみた場合、「アイロニー」が成立する。
 ところで、イギリスの批評家テリー・イーグルトンの著書『美のイデオロギー』の邦訳者は、上記「ロマン主義的アイロニー」を「自己反省」の構造によって表現している(著者と訳者の見解の異同は不明)。すなわち、①`主体としての自我は自分を完全に対象化(自己反省)することを理想とする。②`反省する主体としての自我は対象化された(反省された)自我が反省する主体ではないことを自覚している。③`反省する自我は、反省された自我が反省する自我だと思い込んでいる。すると①~③と①`~③`の対応関係からいえることは、②`の③`に対する態度、関係が「アイロニー」ということになる。すなわち、「自分を対象化したと思い込んでいるが、対象化している自我は対象化されていない」ということである。
 ここで、「ソクラテスのアイロニー」と「自己反省」の構造を比較してみると、前者における「イデア」が探求者のいわば「外」にあるのに対して、後者の場合、「アイロニー」のいわば発生原因は反省する自我と反省される自我が異なっていながら同じ自我であるということ、すべてが同じ自我の「中」で生じていることにあると気づく。したがって、前者の場合、(1)の視点を閑却して(2)から(3)への視点を保持すると、そこに「ヒュブリス」(傲慢さ)が生ずる可能性があるのに対して、後者の場合、おなじ自我の内部で一種の「馴れ合い」が生じる所以ともなる。さらに、「自己反省」の構造、「反省する」―「反省される」のいわば「イタチごっこ」は現実には有限であるとはいえ、仕組みとしては無限であり、「アイロニー」は単に②`の③`に対する態度、関係であるにとどまらず、「自己反省」そのものの非生産性に対する「アイロニー」だという見方も成り立つ。
 しかし、さらに翻ってわれわれの日常をみると、「自己反省」はライフ・ステージの更新、ストレスとの遭遇などさまざまな事象をきっかけとしても生起するのであるから、必ずしも自我の内部だけの事象とは言い切れないのではないだろうか。

片桐 茂博(哲学)