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汎神論とエコロジー

2016年09月29日心理学科

 キリスト教やイスラム教のように神様はひとりとする教義を一神教(論)、古代ギリシャ・ローマ、日本のように神様が複数いらっしゃるとする教義を多神教(論)という。ところで同じ一神論でも汎神論と呼ばれるものは少々変わっている。まずこの立場では、世界すべて、すべての事物がそのまま「神」だとされる。したがって、たとえばキリスト教のように、創造主である神と、神によって創造された被創造物である人間などすべてのものとの間には無限の隔たりがあるとする立場からすると、汎神論は「異端」ということになる。
 また未開社会の人々の間でよくみられる「宗教」としてアニミズムというものがあり、人間や生物のみならず木や岩、川、山、星などありとあらゆるものに「アニマ」(いのち、生命)を認めてしまう。これはしかし、汎神論ではない。なぜかというと、アニミズムでは個々の事物それぞれに「アニマ」を認めているので、つまり「アニマ」は複数なので、これはむしろ多神教に近い。
 ところで汎神論に話をもどすと、いくら世界は唯一の神だと言われても、われわれが見聞きする世界の在り様は、多種多様な事物とこれまた多種多様な生成変化に満ちている。このギャップを埋めることが汎神論の理論的課題になるが、多くの場合、われわれの知覚は錯覚である、あるいはせいぜいレベルの低い認識であって真実からほど遠い、という結論が導き出される。しかしそれでも話はすまなくて、どうして「錯覚」や「低次の認識」が存在するのか、という問いが当然生じうる。
 他方、環境保護を主張するエコロジーの考え方に「ディープエコロジー」と称するものがある。学者や活動家によってさまざまな違いはあるが、「人類のための自然保護」ではなく「自然のための自然保護」を優先させるという共通点を有しており、最も過激な主張としては、自然、環境にはそれ自体として意思があり、人間はそれを尊重せねばならない、場合によっては「人類」は「自然」のために滅亡せねばならない、というのがある。既にお気づきだろうが、いかにも新しい意匠をまとったかのようなこの「ディープエコロジー」、実は一種の汎神論である。したがってこの「汎神論」もまた上で述べたのと同様な理論的な課題、ギャップに直面する。すなわち「人類」もまた「自然」の一部であるのに、なぜ「自然」の犠牲になる必要があるのか。
 実は、そもそも「自然それ自体」というものを想定することに問題が潜んでいるのだが、それについては機会を改めて考えてみることにしたい。
片桐茂博(哲学)