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人文学部心理学科リレーエッセイ(心理学にフィールドワークはありうるのか)

2017年06月19日心理学科

 私は、心理学に一番近いところで社会学を学んできた。社会学が人々の「意志」の分類から始める学問であるだけに、一方で政治学、他方で心理学、そしてベースに経済学という学際性を宿命とした学びを無意識に重ねてきた。そのせいか、いま心理学に拠点を置こうとすると、もとの社会学の広がりすぎた視点がやけに胡散臭く感じられることがある。「鳥の目」と「虫の目」の関係のようなものを感じてしまう。
 心理学で「実践」だとか「フィールドワーク」といった発想はどう生かされるのか。昨年の4月から試行錯誤しながら、社会福祉の世界に出かけていって、その問題解決に心理学がどのように寄与できるのか、学生と共に考えることにした。虐待にあった子どもたち、いじめにあって不登校になった子どもたち、あるいは自制心がきかずに犯した犯罪で罪を償う少年たち。そうした人々に共感しながらも距離感も感じる学生たち。おそらく、相手の立場に立って一緒に解決法を考える態度が重要とわかれば、アドラーの言う「自己受容」―「他者信頼」―「他者貢献」のサイクルが始動する。いわゆる「ともに生きる」存在として他者を受け入れる感覚が始動して、自己都合(内的必然)で始めた心理学が大きく様変わりするような気がする。そう信じて2年目のフィールドワークに入っている。
 今、ネット空間が広がり、知らない世界を縦横無尽に行きかうことができるような錯覚が日常化している。体験学習や直接体験をもとにした「リアルな感覚」は、一見狭く瞬間的なものである。しかし、それがいつまでも余韻を残して記憶され、その人の人間形成に深く関わっていくならば、納得のいく自己形成(「自己受容」)が始まり、上記のサイクルも順繰りに動き始める。私は、心理学を学ぶという行為には、この種の自分自身の人間形成に関する思い入れのようなものが含まれると考えている。
来週は、学習障害という発達障害という荷物を背負って罪を犯してしまった少年たちのための施設、少年院を訪ねる。障害を個性と呼ぼうという時代から「個性を発達障害というレッテルを貼って排除・隔離する」時代に変わってきて、できる人・ところから、障害の理解とそれを促す街づくりをはじめなければならなくなってきている。格好いい人、できる人ばかりを追いかけ、自己卑下に陥っている時間があれば、格好悪い人、できない人が何に苦しんでいるか、ともに考える精神的余裕を育んでみたらどうだろう。他人を思いやる気力にあふれる心理学徒を育成したい。
宮本益治