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落ち葉と“レジリエンス”

2019年02月26日心理学部

なにやら難しい言葉を持ち出して煙に巻こうとしている、そんなつもりは毛頭ない。“レジリエンス”。この言葉を真剣に考えたのは2011年の東日本大震災の時だ。神戸の震災直後かつてない規模とエネルギーでボランティアの運動が起きた。誰も迷わず、“エンパワーメント”を使用し不自然を感じなかった。だが、東日本の場合、災害空間が圧倒的に拡大し、「エンパワー」しようにもその声が届かないし、自力で這い上がってきてもらうのを願うしかない。その自ら這い上がろうとする意欲や力、つまり「折れない心」のようなものをさす“レジリエンス”という用語が浮上した。それは災害に会う前から不断に蓄積・形成されてきた地域のコミュニティ力であり、それをパーソナルに内面的価値として作動させてきた一種の「共同体感覚」のようなものだと私は受け止めた。

震災後、社会福祉計画や地域福祉活動計画の策定にいくつか携わってみて、「困ったときはお互い様」「力の強いものが弱いものをかばう」と、互助と共存そして応能負担の価値観がいつになく尊ばれるようになってきた。生活保護をはじめとして年金や健康保険なども含めた既成の「公助」の枠組みが少々後退しても、私たちはそれを結構あっさり許してしまっている。だが、互いを思いやる気持ちの後退だけは見過ごすことができまい。かつてはそうした気持ちがしっかりとした制度を生み出してきたのだけれど、今は制度を守ることすらできなくなっている。だからもう一度互助や共存の価値観から再建していかねばならない。“レジリエンス”という言葉を周囲にむけて用いるときというのは、もう後には引けないぎりぎりの選択が迫られている時なのだろうか。追い詰められるとふと浮足立ち落ち着きを失う。

先日、小さな答えに出会った。かすかににおう程度の答えだが、身近でのびのび繰り広げられていた。住み始めて30年を超える都心立地で全30棟近くもある団地で、いつのころからか清掃活動をほぼ毎日欠かさず行うある初老の方に声をかけられた。冬本番というべき朝早く、道路に舞い落ちた大量の落葉を街路樹や低木類の根元に寄せ集めながら、「Mさん、レジリエンスですよ」と笑いかけてきた。どういうことですかと問い返すと、「高校生が通学途上でごみを捨てていくでしょ。あれをすばやく片付けるのですよ。いつもきれいにしておくと、ここは汚したらいかんところだからこれからはポイポイ捨てるのやめよぅ!って気になるからね。この団地の環境はすぐに元に戻るというかちょっとやそっとのことでは“折れない”から、レジリエンスなんですよ」そういう初老の方は、どこかの大企業のエンジニアを定年退職して“新しい人生”を楽しんでいる。毎朝の清掃活動でウェストが10センチ減ったと笑顔満面。昨年度までの分譲マンションの理事会の長を務められていた。朝は清掃、午後は図書館で研究と学習。「私はこの団地が大好きです」と、1本欠けた前歯を隠そうともせずに屈託なく笑う。“エイジングとレジリエンスの関係について述べよ”と、の課題が落ち葉に刻まれていた。それは私にはスリリングなアクティヴラーニングの指令に思えてきた。

宮本益治(地域社会学、社会福祉・地域福祉論、社会老年学)
(担当科目:「福祉心理学」「生涯発達心理学」「社会福祉論」「共生人間論実習」)