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心理学部
2020.03.16

通過儀礼としての卒業式 ~卒業生へのメッセージ~

3月16日に予定されていた東海学園大学の卒業式は中止になりました。コロナウイルスの問題を考慮しての大学の判断でした。

卒業生のなかには、卒業式が行われないことに対して、友人と学生時代最後の時間を過ごすことができなくなった寂しさや、保護者の方へ晴れ姿を見せることができなくなった悔しさとともに、もやもやした気持ちを抱えている人もいるかもしれません。では、卒業式を行うことにはどのような意味があるのでしょうか。私は、現代でも卒業式にはわずかなりとも通過儀礼の意味が生きているのではないかと考えています。

通過儀礼とは、個人をある特定のステータスから別の特定のステータスへと通過させるための儀礼のことであり、特に重要なものとしては成人式が挙げられます。大昔には、社会の成員となる者に対して、日常生活の場から隔離し、部族の伝承を教えこみ、身体にある種の手術を施し試練を与えるという成人式が行われた地域もありました。成人になるための儀式は痛みを伴い、時には命に係わることもあり、それを無事に乗り越えた者だけが、その社会の一員になることを許されました。

現代ではそのような成人式は行われなくなりました。しかし、その身体を張る儀式が社会で用意されなくなったかわりに、人は自分自身で心理的に大人にならざるを得なくなりました。では、そもそも大人になるとはどういうことなのでしょうか。

卒業生のみなさんは、法律上大人として扱われる年齢に達しています。また、身体的にも大人であるといえるでしょう。しかし、まだ社会の一員として一人前にやっていく自信はないという人もいるのではないでしょうか。

おそらく社会に出る時点で、社会人としてすでに一人前である人はいないと思います。実際に社会人として生活をしながら、多くの先輩に出会い、自分が目指す大人の姿を形作っていき、そこへ近づく努力をしながら、人は心理的に大人になっていくのではないでしょうか。大人をどう定義するか、そしてどんな大人になるのかは、その人個人に委ねられています。だからこそ、大人になることには心理的要素が含まれるといわれるのです。

まだ社会に出る自信がない、社会に出たくない気持ちがある卒業生を、強制的に社会に押し出す役割を卒業式は担っているのかもしれません。晴れ着に身を包んで「おめでとう」という祝福の言葉を受けながら、やや強引に背中を押されて、社会に出される必要がある卒業生も少なくないかもしれません。

この春、東海学園大学を卒業するみなさんは、卒業式という背中を押される機会がなくなったことを心細く感じているかもしれませんが、みなさんが主体的に、自分自身で社会への第一歩を踏み出してくれることを私は期待しています。卒業おめでとう。

 

三宅理子(臨床心理学)