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心理学部
2020.07.24

コロナ⑴が垣間見せたもの

 インド北部のパンジャーブ州;澄みきった青い空の下、200キロ以上も離れたヒマーラヤ山脈がくっきりと聳え立つのが見えています。急速な経済発展が招いた大気汚染に苦しむ彼の地では、数十年ぶりのことだといわれています。
 南アフリカのケープタウンでは、無人の道路を、ペンギンが楽しそうに散歩しています。オーストラリアでは、カンガルーが闊歩し、トルコでは山羊たちが山から下りて草を食んでいます……。
 ロックダウンによって人間が屋内にいることを強いられ、反対に、普段は人間によって強いられた居場所から、束の間の自由を得て街中に現われた動物たち。
 目には見えないコロナウイルスですが、それは今回、わたしたちに多くのものを垣間見せ、多くのことを考えさせました。

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 さて、コロナウイルスの感染拡大が言われはじめたとき、真っ先に頭に浮かんだのは、インド独立の父といわれるマハートマ・ガンディーが、100年以上も前の1909年に著わした『ヒンド・スワラージ(インドの自治)』の一節でした。
 当時、インドはイギリス植民地支配の桎梏から自由を求めて歩みを進めていましたが、ガンディーは、同書のなかで、まず自国そのものをふりかえり、インドがいかにして、イギリス(西洋世界)がもたらした近代文明に身も心も支配されたか、否、自らそれらを投げ出したかについて言及した上で、その文明の(しるし)として、鉄道を例に挙げ、次のように述べています。
 
鉄道はまた、悪疫を蔓延させた。これがなければ、大衆は簡単には移動できないはずです。彼らが病菌の運び屋なのです、むかしは、われわれは天然の隔離をもっていたのです。鉄道はまた、飢饉の頻度をもふやしました。というのは、運搬手段の便宜があるものだから、人びとは穀物をすっかり売り払う。しかもそれは、いちばん高値の市場へ送られる。こうして人びとは、災害の備えをおろそかにする、そこで飢饉のときの困窮は増大するわけです。……(2)

 
 もちろん、「グローバル」を合い言葉として現代社会に生きるわたしたちが、ガンディーのこの言葉をそのまま受け止めることは不可能でしょうし、批判の対象とさえなるかもしれません。しかしながら、この「鉄道」という言葉を、たとえば「飛行機」あるいは「その他の移動手段」と置き換えたならどうでしょう。見事に今の状況に当てはまるのではないでしょうか。
 わたしたちは、ガンディーが言うように、むかしは天然の隔離をもっていたのです。が、今日わたしたちは、それを易々と手放し、経済の損得勘定(彼の言う高値の市場)で物事を考え・成すのを(つね)とし、それを()として生きています。もちろん、すべてではないにせよ、それがグローバル化の一側面でもあるのです。そして、今回わたしたちは、そのグローバル化がいかに脆弱で危険であるか、加えて、自国内における「災害への備えが[いかに]おろそか」になっていたかを、身をもって知ることになりました。
 ちなみにガンディーは、独立闘争がいよいよ激しさを増していったとき、その闘争の象徴(シンボル)の一つとして、大衆に「手紡ぎ車(チャルカ)」を回し、自ら布を織り、身につけることを奨励しました。それは、インドの伝統産業の復興と、独立に向けてインド国民の心を一つにする方策でもあったのですが、同時に、自国の経済的「自立」と、それを担う人間の手による労働(紡ぎ車の回る音を音楽と聴き、時には、人びとが語らいながら労働する)という精神を体現するものでもありました。
 後に、ガンディーのこの思想は、経済学を人間学的・哲学的にとらえた20世紀イギリスの稀有な経済学者E・F・シューマッハーによって、ことのほか高く評価され、彼の名著『スモール・イズ・ビューティフル』のなかにも採り入れられているのは周知のとおりです。シューマッハーは述べています、「ガンディーが語ったように、世界中の貧しい人たちを救うのは、大量生産ではなく、大衆による生産である。……大衆による生産においては、だれもがもっている尊い資源、すなわちよく働く頭と器用な手が活用され、これを第一級の道具が助ける」(3)と。そして、「大衆による生産の技術は、現代の知識・・・・・経験の最良のものを活用し・・・・・・・・・・・・分散化を促進し・・・・・・・エコロジーの法則にそむかず・・・・・・・・・・・・・稀少な資源を乱費せず・・・・・・・・・・人間を機械に奉仕させるのではなく・・・・・・・・・・・・・・・・人間に役立つように作られている・・・・・・・・・・・・・・・(傍点筆者)」(4)とも記されています。
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 ところで現在、世界各国で、さまざまな分野の専門家が「アフターコロナ」を巡り、各々の視点から議論を繰り広げていますが、そのなかで、ある哲学者の言葉が深く胸に焼きついています。「ウイルスは差別しない[誰にでも・・・・感染する]と言うけれど、手を洗う水さえない貧しい人びとがいることを考えれば、けっして人間は平等ではない」というのです。コロナが拡がりをみせるなかで、より明らかになっていったこの不平等、すなわち貧困や格差、差別等の問題も、つまるところ、考えるべきは(たとえそれが夢物語だと揶揄されようと)、ここでもやはり、ガンディーやシューマッハーの精神・哲学にあるのではないか、と思えてならないのです。
 にもかかわらず、今、わたしたちは大急ぎで、再びヒマーラヤ山脈を曇らせ、束の間の自由を享受した動物たちを、人間の定める元の居場所に追いやろうとしています。
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 人間と感染症のかかわりは、人間が森林を切り開き、生態系に負荷をかけながら農耕を始めた約1万年前に遡るといわれています。その後、わたしたちは幾多の文明を築き、歴史を通して、多くは人間の欲望のために領土の拡大を図ってきました。が、皮肉なことに、それは同時に、未知のウイルスを拡大させることでもありました。なぜなら、ウイルスは人間に寄宿しながら拡がったからです。ウイルスは寄宿しなければ生きてはいけない。その意味では、残念なことに人間とウイルスは運命共同体なのです。だとすれば、今わたしたちが知恵を絞るべきは、彼らにとって最も好ましくない・・・・・・・・「グローバル化」をもう一度考え直すことではないでしょうか。そして、そのヒントとなるのがガンディーの「鉄道」と「手紡ぎ車(チャルカ)」なのかもしれません。
 
森本素世子(インドの英語文学)
(1)本エッセイでは、新型コロナウイルスをコロナで統一した。
(2)森本達雄『ガンディー』人類の知的遺産64 講談社 昭和56年 P.161-162
(3)E・F・シューマッハー『スモール・イズ・ビューティフル』(小島慶三・酒井懋訳)講談社学術文庫 昭和61年 P.204
(4)同上