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心理学部
2021.02.25

プラトンとフロイト

斎藤忍随『プラトン』(岩波新書)によると、古代ギリシアでは、現代のわれわれが「恋愛」と言われて一般的に思い浮かべるものに相当するのは、「男性」同志の「同性愛」であった、という。ということになると、ソクラテスが青少年を相手に挑む哲学問答、「対話篇」はソクラテスによる青少年の「口説き」の記録ということになるのだろうか。同書によると、そこで登場するのが近代的な心理学的解釈ということになる。すなわち、異性間の「恋愛」であれば、子供の誕生という愛の結実が得られるが、同性間ではそれがかなわず、その代償として「愛の昇華」が生ずるという。ソクラテス-プラトンの場合、真理そのものに他ならない「イデア」(個物の理想、不生不滅、唯一無二の存在)への憧憬(プラトン的な意味での「エロス」)である(したがって普通「プラトニック・ラブ」という言葉は異性間の精神的愛というような意味合いで使われるが、これを「プラトン的な愛」と文字通りに取れば誤解あるいは曲解になるかもしれない)。

しかし、同書によると、古代ギリシアの文化的背景を考えると、この解釈は少々無理がありそうである。ギリシア神話では、ゼウスを始めとする神々があたかも人間と等身大に描かれることがほとんどである。彼ら彼女らは、人間同様、喜怒哀楽の感情を露わにし、人間世界の出来事に直接介入する。ただし彼ら彼女らが人間と決定的に異なる点がある、という。それは人間が「可死」であるのに対して彼ら彼女らが「不死」であるということである(多少の例外はある)。そしていずれ死すべき運命にある人間の儚い願いこそは、「永遠の命」を得ることなのだという。つまりソクラテス-プラトンの場合も不生不滅の永遠の存在である「イデア」に「関わる」(これがいかなる事態なのかの解明がプラトン哲学の残した課題となる)こと、「不死」こそがライトモチーフになっていると示唆されている。

翻って先の近代的な「昇華」理論を代表するのが精神分析の創始者フロイトであろう。周知のように彼は一方で、終生、無意識の欲望である「エス(Es)あるいはイド(Id)」の理論を探求した。「エス」はなるほどギリシア語でいう「エロス」(愛の神、ラテン語の「クピド」を経て英語で「キューピッド」)に他ならないだろう。ところが他方、特に晩年に近づくにつれてフロイトが重視せざるを得なくなったのが「死の欲動(タナトス)」である。フロイト自身に即しても「エス」と「タナトス」の関係は複雑を極めるものであったらしいが、木村敏氏の『偶然性の精神病理』(岩波現代文庫)によると、「死の欲動」とは、一つ一つの生物の「個体」を超えた、あるいはそれを支える「生命の活動」、「生成」ではないか、ということなのだ。氏はニーチェの有名な「永遠回帰」の思想を援用しながら、生物「個体」の「生」と「死」双方を包含する「生命の活動」、「生成」を想定しこれこそが「死の欲動」という概念が示すものではないかと示唆される。

ニーチェの「永遠回帰」の場合、「永遠」ということの意味を検討する必要があり(キリスト教などの「直線的時間」と古代ギリシアなどの「円環的時間」の違い、後者とフロイトの「反復強迫」との関連など)課題が多いが、ここではしなくも「エロス」に関する心理学的解釈の本家本元フロイトが「永遠不滅なもの」をめぐって古代ギリシアを代表するプラトンと交差する場所がみえてくるのではないだろうか。

片桐 茂博(哲学)